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こいけたくまと申します。よろしくお願いします。


こちらのページでは、私がどのようにして今の仕事をするようになったのか、どういった思いで仕事をするようになったのか長くなるかもしれませんがまとめていきたいと思います。

タクマってこんなひと

作業療法士をしながらECサイト運営、プログラミング(Web制作やツール制作)、オンライン事務職を経験してきました。そのほかマーケティング支援・メンターサービスを行っているパラレルワーカーです。

自分の強みはコツコツと努力を継続できること。どうしてこんなふうになったのか、どんな人生を送ってきたのか平々凡々な生活ですが赤裸々に公開していきます。

経歴

出生

1986年生まれで蟹座のO型、寅年です。1986年生まれは「五黄の寅(ごおうのとら)」と呼ばれる代で、強運なひとがおおいと言われます。その言葉を知る前から根拠もなく自分は運が良いと思っていました。

6つ上に姉がいて、パートタイマーの母、サラリーマンの父がいる4人家族で、姉が重度障害児だったということを除けばごくごく普通の家庭でした。
ただ、家にはお金がないのだということを徐々に知ることになるのです

幼少期

幼少期の記憶は残念ながら、ほとんどないんですね。しょっぱなからネタないんかいって感じですが、引っ越しが数回あったことと保育園でなんとなく遊んでいたことくらいしか残っていません。

大きなイベントといえば5歳の時に、姉のてんかん発作でおおきな発作が起きて意識消失しました。当時の医療がどうなっていたのか、弟の私にはよくわかりませんが、結果的に姉は人工呼吸器管理となって入院生活となります。

当時住んでいたところだと通院(お見舞い)が大変になるので、大きな町へ引っ越しすることになりました。

この時から、週末になると両親と一緒に姉の病院に行くことになるわけですが、子供って療養病棟には入れないんですよね。ただでさえ免疫低下している方が入院している中で、全身汚れまみれの子供が入ってきたらたまったもんじゃありません。

そんなわけで、いつも5時間・6時間は当たり前に病棟の前のスペースで両親が戻ってくるのを待っていました。古くなった本が10〜20冊くらい置いてあったのですが、それいがいはエレベーターと階段と椅子しかありません。そんな本なんて一回行けば読み切っちゃいますよ、5・6時間もいたらね。

だからずーっと非常階段みたいなところで遊んでました。院内も休診日だったので、誰もいない病院の探検なんかもしちゃって。

つい最近まではあまり気にしていなかったけど、今思えばすごく寂しい時代を過ごしていたんですね。

学生時代

姉の影響もあって、医療系に進むことを小学生時代から考えていたように思います。勉強は好きってわけじゃないけど、めちゃめちゃ嫌いでもないし、親に強く言われるもんだから頑張って取り組んでいました。

学生時代に印象に残っているのは、数学とスポーツです。

数学は今でこそ大好きといえるもので、あの時があったから今の自分があるんだと思えるのですが、『あの時』についてお話させてください。

中学までの算数は多少の難しい問題でもなんとか解いていてそれなりに成績の良い子だったんですよね。それで余裕かましていたのか、中学に入って始まった数学で最初から挫折します。わからないつもりはないんだけど、書いても正解していない。小テストで0点取ったこともありました。

そこで母によるスパルタ特訓がはじまったわけですね。

当時はネットなんかそんな普及してませんので、母が問題文を手書きorワープロで打ち込んで印刷し、家庭用電話についているFAX機能を使って大量にコピーします。そうして生まれた問題集を『まちがうことなく全て完了したら』外出OKというルールが敷かれたんですね。

あの時は、本当に涙が出るまで繰り返しやりました。できない自分にも悔しかったし、外出できないことも悲しかったし、でもやらないと遊びにも行けないからなんとかやり切ってました。

あの時があるからこそ、『わからない人の気持ちがわかる』ようになったと思えるし、その後数学がどんどん得意になっていったことで『努力を継続することの大切さ』を学んだと思います。

最終的に、高校時代の数学全国模試で満点とって全国一位になりましたからね。涙流した価値ありますよ。

そしてスポーツは中学・高校とバスケ部に所属しました。バスケは全然うまくならなかったけど、いい友人たちに恵まれました。大変な練習も多かったけど、あの時を乗り越えたからその後の部活でもやってこれたなって感じがあります。

大学に入ると、当時は絶対にやらない・やりたくないと思っていた『ラグビー』をすることになります。これが自分の人生では大きなターニングポイントの一つでした。頑なにやらないと決めていたラグビーをすることになったのは、一重に当時ラグビー部に在籍されていた先輩方がとても良い人たちで熱心に誘っていただいたから。

ラグビー部で学んだことは非常に多かったですが、大変な思い出の方が多かったかもしれません。練習自体のきつさであったり、トレーニングのきつさであったり、飲み会のきつさであったり社会で生きていくための礎をこの4年間で築けたと思っています。

特に飲み会や食事のマナー(?)とか礼儀については自然と身についたし、社会に出てからも『ラグビー部だったから』という理由で多くの人に可愛がってもらえることもあってよかったです。

何より、ラグビーとラグビー部を経験したことで両者が大好きになって、どんな形でもラグビーに携わっていきたいと思えたことも良かったです。

社会人①:新卒で部門開設・一人職場を経験

社会人になって一つ目の職場は作業療法部門の開設になるところでした。さらに言えば働く作業療法士は僕一人です。理学療法士の先輩は多くいましたが、知らない土地に一人で飛び込み、部門開設と日々の診療を経験するのは非常に刺激的な毎日でした。

周囲や家族には割と反対されました。無謀でしょと。

でもなんで決めたかというと、僕がもともと興味のあった手のリハビリができる病院だったということと、とても素敵な医師がいて、スタッフがいて『人』に惹かれたから。この選択は間違ってなかったなぁと振り返っても思います。

毎日規定人数ギリギリまでみて、残業して勉強会に積極的に出席して、院内の飲み会なんかもなるべく参加して自己研鑽と人脈づくりに勤しんだ一年目だったと思います。

二年目には後輩ができることになるのですが、この経験もよかったですね。一人でやる分には好き勝手(といっても変な治療をするとかではないです)できましたが、後輩ができると指導をしたり自分が手本になる必要があると思ってました。

結果的にすごく出来の良い後輩だったのでほとんど指導することなんてなかったのですが、後輩がいたことで自分もすごく成長させてもらえたと思います。

一つ目の病院には全部で8年いたけど、退職するときに尊敬する医師から『お前は一度も俺からのリハビリ依頼を断らなかったよな、だからこそ安心して毎回電話して依頼できたわ』と言ってもらえたことが大きな宝です。

社会人②:専門性の高い職場へ転職・研鑽と世の中を知る

鋭意執筆中。

社会人③〜いま

鋭意執筆中。

家族

鋭意執筆中。

好きなこと

鋭意執筆中。